テレビなんて当時は本当に驚き以外の何物でもありませんでしたよ!
当時はもちろん白黒テレビです。
テレビは日本では1953年(昭和28年)2月1日にNHK東京で本放送が開始され、同年8月28日には、民間テレビ放送会社の日本テレビが開局しました。
この年、国産初の14型、17型白黒テレビが発売されたのですね。
でも、サラリーマンの月給が3万円といわれた時代です。
そんな時代にテレビは1台30万円前後もしたそうなので、まさに高嶺の花でした。
当時は電機店などの街頭テレビで放送されていて、みんながそのテレビの周りに集まって
わいわいがやがやと見たものです。
そんな時代のテレビのこと、我が家に初めてテレビをつけた時のエピソードを書いてみます。
白黒テレビが我が家にやってきた日のこと
いつだったか?年月ははっきりと覚えてはいないのですが、テレビが我が家にやってきた日のことは今も忘れることができません。
白黒テレビが一般家庭にも入ってきた、まだ初期のことだったと思います。
主人は電気製品が大好きでした。
お酒は体が寄せ付けず、タバコも吸わなかったので電気製品をよく買いました。
そんなことからテレビも近所ではまだまだ考えられない時期に買ってくれました。
ところがテレビを家に引くのはとんでもない大変なことだったのです。
我が家は高台ににあり、すぐ後ろが山です。
電波はその山の上にアンテナを立てなければならなかったのです。
電波が届く山は家の左後方にあります。
その山にアンテナを立てるためには 、我が家からフィーダー線を行く必要があります。
フィーダー線(フィーダーせん)とはアンテナの給電線(フィーダー、英:feeder)のことである。
送信機または受信機とアンテナが離れている場合に、高周波電力を伝送するために用いられる。
ウィキペディアによる
それがとても大変だったので今もはっきりと覚えています。
長いフィーダー線を用意して、それを我が家の座敷(テレビは何故か座敷に設置しました。)座敷から軒先に出して取り付けて、それを今度は隣の家の軒先に渡して這わしました。
隣の家の軒先のはしっこから今度は山に渡り、急な勾配の山を頂上までひくのです。
そうして山の頂上にアンテナを立て、そこに届く電波を拾うのです。
とてもとても大変でしたがテレビが無事映った時にはそれはそれは感動しました。
ところが困ったことがありました。
このテレビは雨が降ると うつらなくなるのです。
小雨が降るとジージーと雑音が入り画面が 乱れてきます。
雨がひどくなると全く映らなくなりました。
実は電波は名古屋放送局からのものを受けていたのです。
当時は大阪放送局か名古屋放送局かを選ぶしかなかったのですね。
我が家は福井県の若狭地方です。
雨が降ると電波状態が悪くなり、大雨になるとうつらなくなるのです。
だから紅白歌合戦などの一大イベントはお天気が良くなることを唯々祈るばかりでした。
紅白歌合戦はいつも隣の家族ともども楽しみました。
それから早くに主人がテレビをつけてくれたことでとても感謝していることがあります。
私の祖母がテレビをとても楽しんでみてくれたことです。
祖母は明治14年生まれでした。
早くにテレビをつけたおかげでその祖母もとてもテレビを楽しんで見ていました。
宮田輝さんが大好きでした。
耳が遠かったのでいつも画面の横に はりついてみていたのを思い出します。
白黒テレビからカラーテレビへ
1960年に一部地域でカラー放送が開始されました。
カラー放送開始から6年たった1966年3月に、全国カラー放送用マイクロ回線網が完成します。
そしてカラー放送が全国で視聴出来る範囲は93%になりました。
我が家にカラーテレビが来たのは東京オリンピックの年でした。
東京オリンピックは1964年(昭和39年)10月10日(後の体育の日)から10月24日の期間にかけて東京で開かれた第18回夏季オリンピックですね。
この東京オリンピックの直前に初めてカラーテレビを購入しました。
10月10日は祝日になり私が勤めていた電電公社も休日になって、東京オリンピックの入場式をカラーテレビで見ました。
オリンピックの模様は8月に打ち上げられたばかりの米国の静止衛星「シンコム3号」で世界に発信されたそうですね。
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初めての衛星中継です。
いろんな課題がありましたが、関係者の並々ならぬ熱意で史上初の衛星生中継は大成功を収めたといわれます。
今も各国の選手たちがそれぞれの国旗をはためかせて、堂々と誇らしげに入場行進する姿が目に浮かびます。
不思議ですが、その場面は我が家の居間、家族の様子、自分の様子があの時のままに思いうかべることができます。
まとめ
テレビは日本では1953年(昭和28年)2月1日にNHK東京で本放送が開始され、同年8月28日には、民間テレビ放送会社の日本テレビが開局しました。
当時サラリーマンの月給が3万円といわれた時代です。
そんな時代にテレビは1台30万円前後もしたそうなので、まさに高嶺の花ですね。
そんな白黒テレビが一般家庭にも入ってきた、まだ初期のことだったと思います。
年月ははっきりと覚えてはいないのですが、テレビが初めて我が家にやってきた日のことは今も忘れることができません。
当時、テレビを家に引くのはとんでもない大変なことだったのです。
大阪放送局か名古屋放送局からの電波を拾うしか方法がなかったのです。
我が家はその中間にあります。
だから山の上にアンテナを立てなければならなかったのです。
山にアンテナを立てフィーダー線を我が家まで引くのです。
雨や雪が降れば映りません。
大きなイベントや楽しみにしている番組は天候を祈りながらの毎日でした。
初めて我が家でみたテレビのことはやはり忘れることはないでしょう。